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KURATA計画の名称は、幹線調査課 課長 倉田 玄二氏からとりました。

幹線調査課は、1939年 8月30日に鉄道省大臣官房に設けられ、戦前における新幹線計画(いわゆる「弾丸列車」)の調査機関として機能しました。たとえば、幹線調査課の調査結果に基づき、島 安次郎氏を委員長とする「特別委員会」は、鉄道幹線調査会に「広軌新幹線旅客輸送関係説明書」を提出しました。

亜細亜新幹線―幻の東京発北京行き超特急 (講談社文庫, 1998) p.238.

> 調査課の初代課長には、先の特別委員会で報告した土木屋の倉田玄二が就任した。
 倉田について竹内は語る。
「われわれは論議の過程で話が次第に大きくなってパーッと法螺も吹くが、その点、倉田さんは非常に真面目で、そんなことは絶対にやらない人だった。このころ、四十五、六歳だったでしょうか」
 権田[:権田 良彦氏]も述べている。
「倉田さんは根っからの技術や、政治力のない建設屋だった。純粋な人だったから、幹線調査課の初代課長に選ばれ、倉田一代限りで終わり。本当に好い人だったから、われわれ部下のいうことに擬義を唱えたことはない」

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