無窮 i ラボ Blog

知的ネット社会、知そのもの、機械との共生、プログラミングに関して。

 
 

私は、知(=知識)・情(=情念)・意(=意志)・体(=技能) のなかで、知に特化している。そして、知のなかで拡散した。「形式知のポテトサラダ」(サラダボールより、こなれ、、坩堝[:るつぼ]より、こなれていない)になった。

そして、特定の知的主題(テーマ)よりも、知そのもの・知識に関する方法(メソッド)に興味を引かれるようになった。

知のなかで拡散した結果、その収束点は、知そのものになったのだ。

知的ネット社会「アテネの学堂」の形成活動は、その上にある。

茂木 健一郎 : 思考の補助線 (ちくま新書, 2008) p.209.

 もちろん、普遍性は、決して不磨の大典として不変のまま存在し続けているのではない。かつて物理学者の「帝国主義」の思想を支えたのは、「収束」という概念だった。この世のあり様を究明しようとするさまざまな知的活動は、やがて一つの世界観、一つの理論的枠組みへと収束していく。そのような考えがあったからこそ、やがてすべてを覆い尽くすであろう知的営みとしての、「物理学帝国主義」を構想することもできたのである。

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徳力さんが書かれた、「アテネの学堂」に関連するブログ記事「日本のウェブの残念度を下げるために、私たちができそうな7つのこと+α : tokuriki.com」の閲覧者は、検索エンジンに以下の言葉を入力したそうである。
  • 日本のウェブは残念
  • 残念な日本の私
  • 私は残念なこと
  • 日本 web 残念
(2009/ 8/ 8 11:00。「trackword」調べ)

だから、アテネの学堂会館の検索エンジンから来られる利用者を増やすには、「残念」という言葉で検索されたときにヒットするようにしたらいいかもしれない――例えば、「日本のウェブを残念にしない」という文句を入れるなど。

しかし、それでは、選挙に惨敗したときの某政党のコピー「日本をあきらめない」のようだ。

管理者として、ネガティブな言葉はつかいたくない。
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2009/ 7/21 に、ライブドアwiki をつかって、wiki「アテネの学堂会館」を開設しました。

「アテネの学堂」の構築を促進し、それが確固として存在する状態を実現することを目的としています。

私が、「アテネの学堂」の構築に関して、重要だと考えている意識は二つあります。

一つ目は、「とにかく「アテネの学堂」をつくろう」という意識です。

このために、私は、wiki管理人として、「小我を捨てて大我につけ (豊田 喜一郎)」を実践する必要があると考えます。

二つ目は、「「アテネの学堂」は一つではない」という意識です。ここでいう「一つ」は、数量ではなく、形式の数です。

「アテネの学堂」を油絵に例えることができるのではないか、と考えます――いくつもの絵の具が塗り重ねられて成立しているという点において。

すなわち、「アテネの学堂」の機械部分は、一つではないでしょう。「アテネの学堂」の人間間ネットワーク部分は一様ではないでしょう。

しかし、いくつもの絵の具が重ねられるうちに、認識可能な図柄が生じ、油絵「アテネの学堂」の存在が生まれるのではないか、と私は考えています。
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