無窮 i ラボ Blog

知的ネット社会、知そのもの、機械との共生、プログラミングに関して。

 
 

メディアは読み手に選ばれ、編集される。

 メディアは情報を選び、編集するが、メディアは読み手に選ばれ、編集される。

いかなるメディアも抗えない。なぜならば、

(1) 旧メディアは、特権的地位を持てない。

 現在の科学技術(特に、エレクトロニクス・情報通信技術)が実用化するメディア終端器(情報端末)は、旧メディアの終端器(紙・テレビ受像器)に比べて、優れた点がある。膨大な知の蓄積の上に発展する科学技術は、さらに優れたメディア終端器を生み出すだろう。

 だから、旧メディアの終端器は、読み手の支持を失っていくだろう。

 旧メディアは新しい終端器に自らを映そうと「乗り入れる」。

 新しい終端器(特に、体感的な新しさをもったメディア終端器)に映る姿で、旧メディアは再評価される。旧メディアは、従来の地位を保障されない。

(2) いかなるメディアも絶対的な地位を持てない。

 新しい終端器は、読み手の支持が高い。新しい終端器は、インターネットを伝送路として活用するだろう。誰のものでもない伝送路であるインターネット上では、情報は規制されず、すり抜ける。いかなるメディアも情報支配はできない。
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現在の業績は、新しい試みによって、これまで培われてきた過去の業績に現在的意義を付与する。

そして、現在的意義を付与された過去の業績と新しい現在の業績が一体になった統合体――これは漸進進化した秩序をもつ――が、未来に向かって進む。


これは、ブログ管理人による以下の解釈である:

森 博嗣 : 冷たい密室と博士たち (講談社文庫, 1999) 西澤保彦氏による「文庫版解説」より

pp.413-414.

... T・S・エリオットの『伝統と個人の才能』という評論の中に以下のような一説がある。

『... 現にすでに存在している幾多の作品は、それら相互間に、理念的な意味での一つの秩序を形づくっている。そこへ新しい(真実新しい)芸術作品が入ってくると、その秩序に修正が加えられていく。現に存在してる秩序は、新しい作品が出現するまでは完結していた。そこへ新しいものが附加され、しかもなおそのあと秩序が保たれてゆくためには、現に存在する秩序の全体がたとえ僅かでも変更されざるをえない。かくして、全体に対する、芸術作品の各々の関係、均衡、そして価値が再調整されてゆく。これが、古いものと新しいものとの間に生ずる順応ということである』(筑摩書房刊『筑摩世界文學体系七十一』より)

 簡単に言えば、伝統とは財産のように相続されてゆくものではなく、過去の過去性のみならず、その現在性の認識を含む歴史的感覚に裏打ちされた相互干渉的な〝化合作用〟に他ならないということだ。

p.415.

 現代本格に携わる実作者の使命は、その否定 [:小説における論理的整合性の否定。人間は完全に合理的には行動しないことを、これを小説に反映する必要がある。] を可能にする手法なりテーマなりを持ち込むことで、自らの新しさを主張するのみならず、それによって過去の幾多の作品の過去性と現代性を再調整し得る〝発見〟をもたらすことである。すなわち、本格作家たちが、これまで苦闘してきた試行錯誤に付与できる意義を創造しなければいけない、ということでもある。

p.416.

私の考える現代本格の使命とは、新しい試みをもって、これまで培われてきた過去の業績に現在性を付与することにより、自らも再調整された伝統の中に組み込まれ、そして未来に繋げることにある。

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ネットには、リアルには有る「他者を従わせる強制力(社会的な決断力)」が無い。


ネットとリアルの相互関係として、以下を提案する。

 ● 安定時

 ネット→リアル : 多様な意見の提供

   リアルは、社会的な決断をし、社会的な行動を実施する。

 リアル→ネット : 言論の自由の提供、リスペクト *

   * リアルにおける社会的な決断の際に、ネットの声がいかに検討されるかが、リアルのネットに対するリスペクトを表わす。

 ● 不安定時――リアルによる、言論の制限、非リスペクトに対して、

 ネット→リアル : 多様な反論の実施

  リアルはネットに「包囲」されているため、ネットの「包囲」的反論に対して、脆弱である。
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私が考えるに、

放送局が持つぼんやりとでも一貫した意志に影響されない、ツイテレを使う国民が、選挙の意志決定(つまり、選択型の複雑な意思決定)において考えるべきことは、以下の2つです。

 1. 政権を担おうとしている党の政策が「解」として成立しているか。即ち、その政策を実行した場合に、行政が破綻しないか。

 2. 政権が実施すべき政策の自分が考える優先順位が、政権を担おうとしている党があげる優先順位に似ているかどうか。

政権を担おうとしている党も、この2点を有権者が判断できるようににすべきです。

つまり、政策全体の構造(政策要素同士は直列か並列か等)と優先順位を明示すべきです。
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放送局 1局の放送を視聴するわけでなく、総動員された放送メディア全体を見るツイテレを使うユーザの意志は、放送局の意志にあまり影響されません。

逆に言えば、放送局が持つぼんやりとでも一貫した意志に影響されないため、現実には両立し得ない複数の考えの同時実現を願う傾向が強くなるかもしれません。


そのようなユーザはどのように選挙において意志決定をすべきかについては、別エントリーに書きます。
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