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無窮 i ラボ Blog

知的ネット社会、知そのもの、機械との共生、プログラミングに関して。

 
 

米盛 裕二 : アブダクション―仮説と発見の論理 (勁草書房, 2007) p.41.

R・J・ブラックウェルは彼の著書『物理諸科学における発見』(Discovery in Physical Sciences, 1969) において、科学的発見にはいろいろなタイプがあることを示し、それらの発見のタイプの分類を行っていますが、そのなかでかれは「ということの発見」(discovering that)と「なぜかの発見」(discovering why)を区別しています。

●「ということの発見」に関連すること

  予測行為

●「なぜかの発見」に関連すること

  最も偉大な哲学者とは、最も数多くの事物に理由を与える人 ディドロ
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インターネットを使ってすべてのことができるわけではない以上、リアルな事物との結合点(乗り換え交通点)が重要である。

ウェブへの失望は、インターネット上の成果がリアル空間に役立っているように感じられないから生じる。結合点を整備して、出口を開ければ閉塞感がなくなる。

インターネットにようこそ。 : ひろゆき@オープンSNS

>数年前ぐらいに「2ちゃんねるは終わった」という議論が活発になったことがあります。
その当時は、ネット上で多数の人が自由に議論する場所というのが出来たことで、社会にいろいろな影響を与えると期待されていたのですね。

んでも、結局、ネット上の出来事は、ネット上の出来事でしかないので、社会には何の影響も与えなかったわけです。

んで、ネットって無力だよねぇ、、ということで、「2ちゃんねるは終わったよねぇ」なんて言われていたわけです。

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メディアは、特定の個人・集団にとって、都合の良い・心地よい世界でありうる。Webメディアも、在来メディアも、そうである。

dSb :: digi-squad*blog: 「EPIC 2014」日本語訳

最高の状態では、EPICは、見識のある読者に向けて編集された、より深く、より幅広く、より詳細にこだわった世界の要約といえる。
 しかし、最悪の場合、多くの人にとって、EPICはささいな情報の単なる寄せ集めになる。
 その多くが真実ではなく、狭く浅く、そして扇情的な内容となる。

だから、メディアはそれぞれそのメディアのなかだけで論を組み立てたがる。メディア間の思想流通は、メディア自身によっては行われにくい。

それは人間によって行われるのではないか。

複数のメディアに触れ、メディアそれぞれへの接触度合いを時間的に変化させる人間によって、妥当な論をもったメディアに支持が集まる。

他の正常なメディアは支持を得るために、自身の論を修正する。絵空事を吹聴するメディアに心地よさを感じる人間は、少数だからだ。
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