無窮 i ラボ Blog

知的ネット社会、知そのもの、機械との共生、プログラミングに関して。

 
 

いかに、丁寧な態度で、分かりやすく、知らない人に理解してもらうか。


関連:
暴言と知性について (内田樹の研究室)

自分の言葉を差し出すときに、相手にそれをほんとうに聞き届けて欲しいと思ったら、私たちはそれにふさわしい言葉を選ぶ。

話が複雑で、込み入ったものであり、相手がそれを理解するのに集中力が必要である場合に、私たちはふつうどうやって、相手の知性のパフォーマンを高めるかを配慮する。

たいていは、低い声で、ゆっくりと、笑顔をまじえ、相手をリラックスさせ、相手のペースに合わせて、相手が話にちゃんとついてきているかどうかを慎重に点検しながら、しだいに話を複雑な方向にじりじりと進めてゆく。

怒鳴りつけられたり、恫喝を加えられたりされると、知性の活動が好調になるという人間は存在しない。

初引用: アテネの学堂たんぶら 2011/ 7/ 9 4:02pm

知的生産ブログ 内容の正確さを犠牲にしても、伝わりやすい文章には価値がある
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イギリスは、「情報収集と分析では今なお世界一と目される」国です (徳田 八郎衛 : 間に合った兵器 (光人社NF文庫, 2002) p.208.)。

司馬 遼太郎は、『坂の上の雲』に、

英国というのは英国の機能そのものが一大情報組織といっていいほど、各国の情勢を精力的に収集し、それを、現実認識についてはもっとも適したその国民的能力をもって分析していた。
...
 もともと英国というのは情報によって浮上している島帝国であるといえるであろう。

と書いています。(司馬 遼太郎 : 坂の上の雲 7 (文春文庫, 1999) pp.199-200.)
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民撰議院設立建白書, 1874.

... 政(まつりごと)情実ニ成リ、賞罰愛憎ニ出ヅ、言路壅蔽(ようへい)、困苦告(つぐ)ルナシ。夫如是(それかくのごとく)ニシテ天下ノ治安ナラン事ヲ欲(ほつ)ス、三尺ノ童子モ猶其不可ナルヲ知ル。因仍(いんぢやう)改メズ、恐(おそら)クハ国家土崩ノ勢ヲ致サン。臣等愛国ノ情自(おのづか)ラ已(や)ム能(あた)ハズ、乃チ之ヲ振救スルノ道ヲ講求スルニ、唯天下ノ公議ヲ張ルニ在ル而已(のみ)。天下ノ公議ヲ張ルハ民撰議院ヲ立ルニ在ル而已。

現代語訳:
笹山 晴生, 五味 文彦, 吉田 伸之, 鳥海 靖=編 : 詳説 日本史史料集 増補改訂版 (山川出版社, 1999) p.254.

... 政治は私情によってなされ、賞罰はその人に対する愛憎できまり、言論の道をふさがれ、困苦のありさまを訴えることもできません。このような状況で天下が治まることをのぞむのは、どんな無知な者でも不可能だとわかります。旧習にこだわって改めなければ、おそらく国家は土が崩れるように崩壊するでしょう。私どもは愛国の心をおさえることができません。そこでこれを救う方法をたずね求めてみましたが、ただ天下の世論をのばす外はありません。天下の世論をのばすには、民撰議院を立てるしかありません。


民撰議院設立建白書 - Wikipedia
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カントの「純粋理性批判」を解すれば、感覚の哨戒線と自発性・当事者意識によって、知性が可能になる、といえる。

福沢諭吉は、「一身独立して一国独立する事」と書いた。一身の独立には、新たな情報に気づく感覚の哨戒線と、情報を自らの行動に変換し、行動する自発性・当事者意識が必要である(引用を参考)。そして、前述により、このとき知性が可能である。また、繰り返しになるが、「一身独立して一国独立する」のである。

わたしが言いたいことは、国民一人一人の知性と、国の独立は、密接に関係しているということである。
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感覚の哨戒線と自発性・当事者意識によって、知性が可能になる。

イマヌエル カント=著, 中山 元=訳 : 純粋理性批判〈2〉(光文社古典新訳文庫, 2010) p.186.


感覚能力に含まれる]受容性が、[この作用{:感覚によって得られた多様なものを〈見渡す作用〉}に含まれる]自発性と結びつくことによって、初めて認識が可能になるのである。

 この自発性がこそが、すべての認識のうちに必然的に含まれる三種類の総合の土台となるのである。三種類の総合とは、直観において心が[触発されて]変容したときにさまざまな像が把握され、想像力において[心のうちで不在な像を思い浮かべることによって]像が再生産され、概念において[心が予測しながら]像が再認される営みである。これら三つの総合は、わたしたちを主観の三つの源泉[すなわち直観、想像力、概念]へと導いてゆく糸のような役割をはたすのであり、これら三つの源泉によってこそ、知性というものが可能となる。

{}内、太字は、ブログ著者による。
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