無窮 i ラボ Blog

知的ネット社会、知そのもの、機械との共生、プログラミングに関して。

 
 

文部科学省生涯学習政策局情報教育課が 2015年 6月10日に公開を開始した「諸外国におけるプログラミング教育に関する調査研究」報告書が、同12日に非公開になった。

内容に誤りが多かったことが原因のようだ:

文部科学省の考えるコンピュータの歴史 | yasuokaの日記 | スラド
文部科学省が「諸外国におけるプログラミング教育に関する調査研究」報告書を非公開に | yasuokaの日記 | スラド

伊藤 博文は、「国家というものがまた知を基盤として成り立っているという考え」に至ったとされる:

瀧井 一博 : 伊藤博文 知の政治家 (中央公論新社, 2013 〈底本は中公新書(2012)〉) 位置No. 1148/5538.

伊藤は立憲体制を布くには、それに先立って、新しい国制に見合った新たな知の制度化が不可欠だと考えていた。ここに来て彼は、国家というものがまた知を基盤として成り立っているという考えに至ったのである。

これは、国に限らない。あらゆる単位が、知を基盤に成り立っている。

例えば、情報教育関係者という単位である。

「諸外国におけるプログラミング教育に関する調査研究」報告書を書いた人、それをチェックした人は、その内容の誤りに気づかなかった。基盤とする知が十分に共有されていなかったのである。

言い方を換えると、今回の報告書で基盤とする知が造られようとしていた。しかし、その内容をチェックする知が、関係者に共有されていないために、誤りに満ちた脆弱な基盤が造られるところであった。


さて、この報告書が公開されて、誤りを指摘した人が多数いたのであろう。公開のわずか 2日後に、内容を確認することを理由に非公開になった。

基盤とする知をもっている人はいる。

それは内部だけではなく、外部にも存在する。外部によって誤り訂正ができるのだ。

基盤とする知をもつ外部を、単に多数の個だと捉えるのではなく、調和あるものにする(そのように捉える)ことによって、より高次の活動を実現できるであろう。

瀧井 一博 : 伊藤博文 知の政治家 (中央公論新社, 2013 〈底本は中公新書(2012)〉) 位置No. 407/5538.

伊藤にとって制度とは、単に諸個人の自由を枠付けるものばかりではなく、そこに調和を与えて、より高次の国家的活動を実現するためのものだったと言えよう。

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本文章は、「4つエンジンの日本にしよう――知性強靱社会の実現のために」第4章 に組み込まれています


伊藤 博文 の思想を材料にして、「知的制高面」をコンセプトとする仕組みが継続的に存在・活動し、確固として認識されることが必要である、という結論が導けます。

* * *

(1) 瀧井 一博 : 伊藤博文 知の政治家 (中央公論新社, 2013 〈底本は中公新書(2012)〉) 位置No. 1148/5538.

伊藤は立憲体制を布くには、それに先立って、新しい国制に見合った新たな知の制度化が不可欠だと考えていた。ここに来て彼は、国家というものがまた知を基盤として成り立っているという考えに至ったのである。

新しい時代には、新しい知の〈制度〉が必要です。

それは、国という単位においてだけではありません。あらゆる単位(社会、組織、集団 等)において言えます。

瀧井 一博 : 伊藤博文 知の政治家 (中央公論新社, 2013 〈底本は中公新書(2012)〉) 位置No. 407/5538.

伊藤にとって制度とは、単に諸個人の自由を枠付けるものばかりではなく、そこに調和を与えて、より高次の国家的活動を実現するためのものだったと言えよう。

すなわち、あらゆる単位(社会、組織、集団 等)において、新しい、知に関する活動の実現を志向した調和が必要です。(*)

したがって、「大国高民論」において掲げたコンセプト“知的側面を強化した国民多数によって構成されるネットワーク「知的制高面」”に着目することには、意味があります。


(2) 知に関する活動の実現を志向した調和のためには、知に関する場や仕組みが、継続的に存在・活動し、確固として認識されることが必要です。

  なぜならば:
  調和は、場や仕組みの継続的な存在・活動を示唆します。

  また調和という“はたらき”を持つためには、認識されることが必要です。なぜならば、知の世界において認識されないものはいかなる“はたらき”も持たないからです。

したがって、「知的制高面」をコンセプトとする場や仕組みが継続的に存在・活動し、確固として認識されることが必要です。


* * *

特別補足:
これを具現する一つが、多くの人々がつながり、持ち寄られた知性と、それを支援する装置によって、社会が問題を解決する能力を高める場である「知的ネット社会」です。

補足:
* 「調和」という言葉は、この投稿を書いて得られたひとつの果実です。「調和」は、価値の可視化(「創造とは何かを造ることではなく価値を可視化することだ」)のキーワードであり、「何か」の発見の「何か」です。
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(1) 文字型の日付 yyyymmdd2 が 文字型の日付 yyyymmdd1 の何日後かを返すfunction
(例えば、DateSpan ('20150331', '20150402')= 3 ):

function DateSpan (yyyymmdd1, yyyymmdd2) {
// yyyymmdd1, yyyymmdd2 は文字列、スラッシュなし。
var myDate1 = new Date();
var myDate2 = new Date();
var span;
var yyyy1 = yyyymmdd1.substring(0,4) -0;
// マイナスじゃないとダメ。
var mm1 = yyyymmdd1.substring(4,6) -0;
var dd1 = yyyymmdd1.substring(6,8) -0;

var yyyy2 = yyyymmdd2.substring(0,4) -0;
// マイナスじゃないとダメ。
var mm2 = yyyymmdd2.substring(4,6) -0;
var dd2 = yyyymmdd2.substring(6,8) -0;
// ---
myDate1.setFullYear(yyyy1);
// 年月日の順でsetしていく。
// そのようにせず、年日月の順にsetすると、
// 例えば、今日が 4月の場合、
// myDate1 に 「2015/3/31」をsetしようとして、
// 「2015年」、「31日」をsetした時点で、
// 実在しない日付「2015/ 4/31」がsetされ、
// 「2015/ 5/1」に自動変換されるため、
// 最終的に myDate1 は、「2015/3/1」になってしまう。
myDate1.setMonth(mm1 -1) ;
myDate1.setDate(dd1);

myDate2.setFullYear(yyyy2);
myDate2.setMonth(mm2 -1) ;
myDate2.setDate(dd2);

span = myDate1.getTime() - myDate2.getTime();

span = Math.round( span /(24 * 60 * 60 * 1000));

return ( span );
}


(2) 文字型の日付 yyyymmdd の plus 日後の日付を文字型を返すfunction
(例えば、DateAdd ('20150331', 3)= '20150402' ):

function DateAdd (yyyymmdd, plus) {
// yyyymmdd・返り値 は文字列、スラッシュなし。
var myDate = new Date();
myDate.setDate(1);
// 最初に「1日」を設定する。
//
// そうしないと、今日が 2015/ 5/31 の場合、
// 後で「2015/ 2/15」を設定しようとすると、
// myDate に「2015年」「2月」を設定した時点で
// 実在しない日付「2015/ 2/31」がsetされ、
// myDate が、その日に相当する「2015/ 3/ 3」に
// なってしまう。
//
// 最後にmyDate に「15日」を設定すると、myDateは
// 「2015/ 3/15」になり、設定しようとしていた
// 「2015/ 2/ 15」とは異なってしまう。
var myDate2 = new Date();
myDate2.setDate(1);
var yyyy = yyyymmdd.substring(0,4) -0;
// マイナスじゃないとダメ。
var mm = yyyymmdd.substring(4,6) -0;
var dd = yyyymmdd.substring(6,8) -0;
var yyyymmdd2num = 0;
// ---
myDate.setFullYear(yyyy);
myDate.setMonth(mm -1) ;
myDate.setDate(dd);

myDate2.setTime( myDate.getTime() + 24 * 60 * 60 * 1000 * plus );

yyyy = myDate2.getFullYear();
mm = myDate2.getMonth() +1 ;
dd = myDate2.getDate();

yyyymmdd2num = dd + mm*100 + yyyy*10000;

return ( yyyymmdd2num + "" );
}
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まとめのまとめ: (2015/6/14追記 初出 2015/ 6/ 7)

感情移入による過度の恐れ、論理を見誤る刺激等価性、「空気」。これらの原因は、人間の脳がしがちな〈確率の概念を持たない思考〉だと考えられる。


まとめ:
感情移入の際などに、人の脳が陥りやすい〈確率の概念を持たない思考〉は、

個人においては、
 ・過度の恐れ
 ・論理の見誤り(「AならばB」と「BならばA」を同一視してしまう)
を起こし、

集団においては、「空気」を生み
 ・誤り訂正がされません。

「空気」は、複数人の間において、〈感情移入によって、確率の概念を持った分析により相手の思考の是非を判断することを拒否し(あるいは、そのようにして得られた判断を軽視して棄却し)、相手が持つ思考を是認する現象〉が連続的に起こっている状態です。


2015年秋に、TBS系にて、ドラマスペシャル『図書館戦争 BOOK OF MEMORIES』の放送が予定されています。

「図書館戦争」シリーズは、“図書館の自由”、ひいては“知る自由”・“表現の自由”ストーリーにした、有川 浩 女史 の作品です。

今回のドラマでは、「図書館戦争」シリーズのひとつ「図書館内乱」での、アニメ化にあたって「恋ノ障害」(TV未放映話。DVD 3巻に収録) とタイトルがつけられた話が描かれます。

この話のヒロイン・中澤 毬江を、NHK朝の連続テレビ小説「まれ」の主役・土屋 太鳳 嬢が演じます。

中途難聴者である毬江に、中途難聴者がヒロインの恋愛小説「レインツリーの国」を薦めた図書隊員が、「聴覚障害者の出てくる本を聴覚障害者に薦める行為は人権侵害である」として、良化特務機関に連行・査問される事件が描かれます。なお、作品中の
図書隊員とは、図書館の自由を守るために武装した図書館員であり、
良化特務機関とは、有害情報・人権侵害・公序良俗を乱す表現を取り締まる組織です。両者は戦争状態にあります。

この事件を、便宜上〈レインツリーの国事件〉と名付けましょう。

〈レインツリーの国事件〉において、聴覚障害者の出てくる本を聴覚障害者に薦める行為を問題視して、良化特務機関の耳に入るほどに噂を大きくしたのは、毬江の同級生達でした。しかし、当の毬江は、問題視どころか、楽しく「レインツリーの国」を読んでいました。

図書館側のひとりは、こう評します:

有川 浩 : 図書館内乱 (アスキー・メディアワークス, 2008) p.110.

「嫌いなのよねー、あの年頃[:高校生]の純粋さを盾に取った正義感って。自分の価値観だけで世の中全部量れると思ってるあの無意識な傲慢さとか、悪気なく上から被せてくる押しつけがましい同情心とか。まったく世界に対して自分が一体どれほど重大だと思ってるんだか、自意識が肥大しすぎて脂肪肝にでもなれそうな勢いね」

この様な事例は、現実においても見られます。(感情移入。「空気」と「バカと暇人のウェブ」をつなぐを参照)。

毬江の同級生達の思考には、確率の概念が抜けています。〈毬江が「レインツリーの国」を読んで傷つく〉に違いないと考え、〈毬江が「レインツリーの国」を読んで楽しむ〉確率が考慮されていません。毬江への感情移入によって〈当事者もどき〉になり、〈第三者〉として広い視野から確率の概念を持って、メリット・デメリットを分析することを拒否しています。

結果として、毬江の同級生達は、〈毬江が「レインツリーの国」を読んで傷つく〉ことを過度に恐れるに至りました。

確率の概念が抜けるという人間の性質は、論理の見誤りを引き起こします。「AならばB」と「BならばA」を同一視してしまう現象です。

私は、次のように考えています。「AならばB」は、Aが真である場合、確率 P(A)≦P(B)です。なぜならば、Aが真である場合、A⊆Bだからです。Aであれば、必ずBです。しかし、Bであっても、Aであるとは限りません。

確率の概念が抜けている場合、確率 P(A)とP(B)の大小の概念が抜けるため、P(A)≦P(B)とP(A)≧P(B)の区別がつきません。つまり、「AならばB」と「BならばA」の区別がつかないことになります。

ヒトの脳がもつ「AならばB」と「BならばA」を同一視してしまう性質は、刺激等価性と呼ばれます。

さらに、〈毬江の同級生『達』の思考〉の『達』に注目しましょう。

一人一人の〈毬江の同級生〉は、毬江に感情移入にしました。しかし、初期において、毬江に感情移入が浅い同級生もいたはずなのに、〈毬江が「レインツリーの国」を読んで傷つく〉ことを過度に恐れる誤りが訂正されませんでした。

同級生同士でも感情移入していたのです。(「空気読めない」という定型句でよく使われる)「空気」が生じていたのです。

「空気」は、複数人の間において、〈感情移入によって、確率の概念を持った分析により相手の思考の是非を判断することを拒否し(あるいは、そのようにして得られた判断を軽視して棄却し)、相手が持つ思考を是認する現象〉が連続的に起こっている状態であると言えます。

複数人が集まれば思考が加速します。そして、本来は誤りが訂正されます。しかし、「空気」が生じると誤りが訂正されません。さらに、複数人が共同で思考したことが、(誤りが訂正されなかった)思考の結論を重大なものにします。そして、この結論に基づく行動の責任の所在があやふやになります

ユダヤ人には「全会一致は無効」と扱う慣習があると言われます。「空気」が導く結論を自動的に廃する、この慣習は秀逸です。
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本文章は、「4つエンジンの日本にしよう――知性強靱社会の実現のために」第3章 に組み込まれています


本文章は、大国高民と高民立世・超民連絡の補足です:

超民連絡の見出し(みいだし)以前 ――高民立世のみでは不自由

高民立世は、〈高民(=知的に高く または 広く、知性・知能を意識的に発揮し躍動する民)(多数)を世に立たせ、高民(多数)によって世を立たす〉という思想です。

最初は、高民立世のみを考えていました。

しかし、高民層の広さを願うほどに、悲しきかな、高民に役立つと考えられる情報の知的高度さが低下してしまい、反知性主義に加担する危険性を感じていました。高民層の広さを意識すればするほどに、知的高度さを低く抑えなければならない不自由が生じるのです。

このジレンマは発生する原因は、単独の手段(メディア)を高民の大多数に役立たせようと意図するところにあるのではないかと、考えます。高民の部分少数を対象にするメディアが、多様に存在すれば、このジレンマは解消されます。知的高度さが、多様にあればよいのです――という思考は、2015年4月になって思い至ったものです。ここで述べたジレンマの解消法は、これから掘り下げていくべき課題でしょう。

超民連絡の見出し(みいだし)

超民連絡は、〈社会が天才・秀才ばかりである必要はないが、天才・秀才が生き・活きる社会であるべきであり、そのために天才・秀才の思考(の一端)が共有されるべきである。これによって、天才・秀才は孤立せず、消耗されない〉という思想です。

つまり、高い知的高度さを広めることが、より高い知的高度さをもつ層にも便益をもたらすことを説いた思想です。

2015年1月の私は、超民連絡の見出し(みいだし)により、先述したジレンマ状態の平衡点を、知的高度さに関して自由な状態へと遷移させました。

高民立世は便益をもたらす〈つながり〉を広さ方向(水平方向)に伸ばす思想ですが、超民連絡は高さ方向に伸びた便益をもたらす〈つながり〉を太くしていく思想です。

先述のジレンマ解消法が掘り下げられても、超民連絡がもつ強力な作用は、超民連絡に価値をもたせつづけるでしょう。
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