無窮 i ラボ Blog

知的ネット社会、知そのもの、機械との共生、プログラミングに関して。

 
 

伊藤 博文は、「国家というものがまた知を基盤として成り立っているという考え」に至ったとされる:

瀧井 一博 : 伊藤博文 知の政治家 (中央公論新社, 2013 〈底本は中公新書(2012)〉) 位置No. 1148/5538.

伊藤は立憲体制を布くには、それに先立って、新しい国制に見合った新たな知の制度化が不可欠だと考えていた。ここに来て彼は、国家というものがまた知を基盤として成り立っているという考えに至ったのである。

これは、国に限らない。あらゆる単位が、知を基盤に成り立っている。

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。

これは、鴨長明「方丈記」の冒頭である。

情報の川、そして、うたかたの知である。

うたかたは保存されないが、知は保存される。知はこうして生まれ、構造化されていく。

構造化のなかでも、直線構造に近い、単純だが情報量に富む知の形態が、ストーリーである。この世界は、反証に耐えたストーリーで塗り固められている。
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