「ウェブ国産力」という本を買った。
まだ読みはじめてもいないのだが、背表紙の「国産」という言葉が妙に気になるのである。
国産
私は、この言葉にノスタルジー(懐古)を覚えるのだ。
ノスタルジーを覚える以上、「国産」という言葉は、私の過去の一時期に私を捉えた言葉であり、また現在の私を捉えている言葉である。
過去の一時期とは、1990年代半ばである。純国産の「H-II ロケット」に魅せられた。純国産ロケットの開発は、米国製のロケット・コンポーネントを使ってロケットをつくっていた日本のロケット技術者の悲願であったことは事実であろう。
しかし、「H-II ロケット」の次の世代のロケットである「H-IIA ロケット」は、純国産ではなくなった。純国産ではコストがかかりすぎたのである。ロケットに限らず、産業界は海外生産を押し進めた。
現在、工業製品が国産であることは、特に明るい話題とは考えられない。つまり、工業製品が国産であることは大きな意味をもたない。
対照的に、現在、国産であることが意味をもつのは、知的生産物に関してである。
私は、ブログエントリー「国力を決めるもの」において、社会が成熟するにつれて、国力の決定要因は、人口から機械の生産に、機械の生産から知の生産に移行すると書いた。成熟していない社会において、人口を決定する要因は農業(第1次産業)の生産量である。通常、社会が成熟するにつれて、産業の中心は、農業(第1次産業)から製造業(第2次産業)、製造業(第2次産業)からサービス業(第3次産業)に移行するといわれる。第○次産業という考え方と、「国力を決めるもの」という考え方は、観点が異なるものの、同じ考えを指している。
そして、この考えが、国産であることが意味をもつ対象の遷移を説明する。
では、人が国産であることが意味をもつ時代とはいつのことであろうか。
私は、それをお雇い外国人がいなくなった時代ではないかと考える。業界を限れば、ごく近い過去がその時代であった業界(例えば、プロサッカー世界)もあり、実感しやすい。
まだ読みはじめてもいないのだが、背表紙の「国産」という言葉が妙に気になるのである。
国産
私は、この言葉にノスタルジー(懐古)を覚えるのだ。
ノスタルジーを覚える以上、「国産」という言葉は、私の過去の一時期に私を捉えた言葉であり、また現在の私を捉えている言葉である。
過去の一時期とは、1990年代半ばである。純国産の「H-II ロケット」に魅せられた。純国産ロケットの開発は、米国製のロケット・コンポーネントを使ってロケットをつくっていた日本のロケット技術者の悲願であったことは事実であろう。
しかし、「H-II ロケット」の次の世代のロケットである「H-IIA ロケット」は、純国産ではなくなった。純国産ではコストがかかりすぎたのである。ロケットに限らず、産業界は海外生産を押し進めた。
現在、工業製品が国産であることは、特に明るい話題とは考えられない。つまり、工業製品が国産であることは大きな意味をもたない。
対照的に、現在、国産であることが意味をもつのは、知的生産物に関してである。
私は、ブログエントリー「国力を決めるもの」において、社会が成熟するにつれて、国力の決定要因は、人口から機械の生産に、機械の生産から知の生産に移行すると書いた。成熟していない社会において、人口を決定する要因は農業(第1次産業)の生産量である。通常、社会が成熟するにつれて、産業の中心は、農業(第1次産業)から製造業(第2次産業)、製造業(第2次産業)からサービス業(第3次産業)に移行するといわれる。第○次産業という考え方と、「国力を決めるもの」という考え方は、観点が異なるものの、同じ考えを指している。
そして、この考えが、国産であることが意味をもつ対象の遷移を説明する。
では、人が国産であることが意味をもつ時代とはいつのことであろうか。
私は、それをお雇い外国人がいなくなった時代ではないかと考える。業界を限れば、ごく近い過去がその時代であった業界(例えば、プロサッカー世界)もあり、実感しやすい。
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コストを下げるためにはロケットも例外ではありません.米国でもロシアからゼニットロケットやロケットエンジンを買っています.日本もGxロケットにロシアのエンジンと米国のタンクという多国籍商品で開発中です。金もうけが技術力より優先しているのです。
2008.04.03 16:37 URL | 宇宙旅行人 #mQop/nM. [ 編集 ]
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