無窮 i ラボ Blog

知的ネット社会、知そのもの、機械との共生、プログラミングに関して。

 
 

私は、知(=知識)・情(=情念)・意(=意志)・体(=技能) のなかで、知に特化している。そして、知のなかで拡散した。「形式知のポテトサラダ」(サラダボールより、こなれ、、坩堝[:るつぼ]より、こなれていない)になった。

そして、特定の知的主題(テーマ)よりも、知そのもの・知識に関する方法(メソッド)に興味を引かれるようになった。

知のなかで拡散した結果、その収束点は、知そのものになったのだ。

知的ネット社会「アテネの学堂」の形成活動は、その上にある。

茂木 健一郎 : 思考の補助線 (ちくま新書, 2008) p.209.

 もちろん、普遍性は、決して不磨の大典として不変のまま存在し続けているのではない。かつて物理学者の「帝国主義」の思想を支えたのは、「収束」という概念だった。この世のあり様を究明しようとするさまざまな知的活動は、やがて一つの世界観、一つの理論的枠組みへと収束していく。そのような考えがあったからこそ、やがてすべてを覆い尽くすであろう知的営みとしての、「物理学帝国主義」を構想することもできたのである。

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関連:
知への集中、知の中での拡散 
http://www.h5.dion.ne.jp/~wing-x/ezhtml/ezh/my_0811220.html#chi

別の面: 「大国高民論」は、私がもつ欲の一つの表現なのかもしれない
http://www.h5.dion.ne.jp/~wing-x/ezhtml/inw3/za_0901230.html#1

2011.05.29 02:17 URL | TAKAGI-1(Admini) #cAPDhLHE [ 編集 ]












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