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遠藤 克弥, トマス・ジェファソンの高等教育政策--ヴァ-ジニア大学の設立と実践をめぐって. 慶応義塾大学大学院社会学研究科紀要 (27), pp.77-86, 1987.

このジェファソンの熱烈な教育支持は,1779年の「知識の一般的普及に関する法案」(Bill of 1979 for the More General Diffusion of Knowledge) の冒頭で,「ある政治形態が,個人の自然権の自由な行使を保護するのに,他の政治形態に比べて,どのように良く計画され,同時に政治形態自身が堕落に対してどのように良く防御されていても,これまでの経験では,最善の政治形態のもとでさえ,権力を委ねられたものは,時日が経つにつれて次第に手心を加えて,その政治形態を暴挙へと変えてしまう,ということが示されている。そこで,これを予防する最も効果的な手段は,民衆一般の知性をできるだけ実際的に啓蒙することである」3)と述べるように,「教育のみが民主主義を守る」という彼自身の政治的な見地からの教育観に基づくものである。

3) 青木 薫著『アメリカの教育思想と教育行政』ぎょうせい, 1981年, P.24.


トーマス・ジェファーソン - Wikipedia

註:
引用にあたっては、下記も参考にした:
田中 覚, アメリカ合衆国における政治教育とその意義. 早稲田大学社会科学部創設40周年記念学生論文集
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現実の世界は過不足なく成り立っている。
非現実の世界は現実には存在しない。
しかし、文章があれば、頭の中では存在させることができる。
現実にならって、過不足のない世界を成立させることができる。

英語には時制があるので、一つの事態は、現在、過去、未来において成立させることができる。
現在時制の事態は現実であり、過去と未来の時制の中では事態は非現実である。
非現実の事態を現実化できれば創造したことになり、現実の事態を現実の中で再現できれば模倣したことになる。
非現実の構文がなければ、非現実の事態を現実に変換することは難しいので、創造的な活動をすることはむずかしい。

思春期になると言語能力が増すので、現実 (現在) のみならず、非現実 (過去、未来) の構文が使えるようになる。
それで、英米人には高等教育が可能になる。高等教育は、大人になるための英語の再教育である。
時制があると、自分の考え (非現実) を述べることができる。こうしたことは、日本語にはない。
時制がなければ、考えを述べることはむずかしい。「そんなことを言ってもだめだぞ。現実にはそうなっていない」ということで、鬼が笑って相手にしてくれない。

非現実を表現するための構文がないということは、考えの筋道を立てることができないということである。
矛盾の排除ができないので、過不足のない世界観が構築できない。発言内容が出鱈目になる。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/



2012.09.16 09:48 URL | noga #sqx2p0JE [ 編集 ]












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