Thomas T. SEKINE, "Introduction to the Dialectic of Capital," 1984その答は、ヘーゲルの有名な比喩の中に見出されるであろう。すなわち、「ミネルヴァの梟は、黄昏の到来とともにのみ、その翼を拡げる」。これらの神秘的な言葉の前には、次のような説明が置かれている。
世界がいかにあるべきかに関して教えを授けることについて、もう一言。いずれの場合であれ哲学は常にそれを授けるには余りにも遅れて登場する。
世界の思想としてそれが現れるのは、現実がその形成過程を完了した後にすでにそこで型にはまったときだけである。概念の教えることは、概念とは歴史の逃れ難い教訓でもあるのだが、概念がその実体の中で同じ世界を捕え、知性の王国の姿の中に自らそれを築き上げるのは、現実が成熟するときだけである、ということなのである。哲学が灰色の中にその灰色を描くとき、その時には、生命の姿は年老いてしまっている。灰色の中の哲学の灰色によっては、それは若返ることはなく、ただ理解されることができるだけなのである(『法の哲学』[藤野渉・赤沢正敏訳、中公世界の名著第44巻、174ページ])。
From Thomas T. SEKINE, The Dialectic of Capital, Vol. I, 1984, pp. 1-100
からの翻訳『関根友彦「資本の弁証法への序論」』
から、「 A. マルクス主義とイデオロギーと科学(原書:pp. 2-25.)」章
http://quoniam.social.tsukuba.ac.jp/yamane/article/translate/sekine1984/A.html より。
(2014/11/26時点で上記ページは消失。waybackマシン)
そのうち、「(b) マルクス主義的認識の三要素」節 「(γ)」小節より抜粋。
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