無窮 i ラボ Blog

知的ネット社会、知そのもの、機械との共生、プログラミングに関して。

 
 

本文章は、「4つエンジンの日本にしよう――知性強靱社会の実現のために」第4章 に組み込まれています


伊藤 博文 の思想を材料にして、「知的制高面」をコンセプトとする仕組みが継続的に存在・活動し、確固として認識されることが必要である、という結論が導けます。

* * *

(1) 瀧井 一博 : 伊藤博文 知の政治家 (中央公論新社, 2013 〈底本は中公新書(2012)〉) 位置No. 1148/5538.

伊藤は立憲体制を布くには、それに先立って、新しい国制に見合った新たな知の制度化が不可欠だと考えていた。ここに来て彼は、国家というものがまた知を基盤として成り立っているという考えに至ったのである。

新しい時代には、新しい知の〈制度〉が必要です。

それは、国という単位においてだけではありません。あらゆる単位(社会、組織、集団 等)において言えます。

瀧井 一博 : 伊藤博文 知の政治家 (中央公論新社, 2013 〈底本は中公新書(2012)〉) 位置No. 407/5538.

伊藤にとって制度とは、単に諸個人の自由を枠付けるものばかりではなく、そこに調和を与えて、より高次の国家的活動を実現するためのものだったと言えよう。

すなわち、あらゆる単位(社会、組織、集団 等)において、新しい、知に関する活動の実現を志向した調和が必要です。(*)

したがって、「大国高民論」において掲げたコンセプト“知的側面を強化した国民多数によって構成されるネットワーク「知的制高面」”に着目することには、意味があります。


(2) 知に関する活動の実現を志向した調和のためには、知に関する場や仕組みが、継続的に存在・活動し、確固として認識されることが必要です。

  なぜならば:
  調和は、場や仕組みの継続的な存在・活動を示唆します。

  また調和という“はたらき”を持つためには、認識されることが必要です。なぜならば、知の世界において認識されないものはいかなる“はたらき”も持たないからです。

したがって、「知的制高面」をコンセプトとする場や仕組みが継続的に存在・活動し、確固として認識されることが必要です。


* * *

特別補足:
これを具現する一つが、多くの人々がつながり、持ち寄られた知性と、それを支援する装置によって、社会が問題を解決する能力を高める場である「知的ネット社会」です。

補足:
* 「調和」という言葉は、この投稿を書いて得られたひとつの果実です。「調和」は、価値の可視化(「創造とは何かを造ることではなく価値を可視化することだ」)のキーワードであり、「何か」の発見の「何か」です。
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