無窮 i ラボ Blog

知的ネット社会、知そのもの、機械との共生、プログラミングに関して。

 
 

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世界が有限であるとき、世界は複雑であり、複雑な世界では、堅牢性が必要である。

堅牢性を得る方法として、共生がある。

今、新たな知性が胎動しつつある。

それは、ディープラーニングを代表とするボトムアップ型人工知能である。

NHKスペシャル「天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る」(2016/5/15放送)において、イギリスの人工知能学者デミス・ハサビスは、こう語った: 「私が目指すのは、何でもできる「究極の人工知能」です。実現すれば科学を急速に進歩させ、社会のあらゆる問題を解決できるでしょう」。

私は、これを聞いた時、『ヘヴィーオブジェクト』「パーフェクト・ブラウジング」を想起した。

社会的問題を解決する「パーフェクト・ブラウジング」のための人工知能。これを、「神の知性」と呼ぼう。

「神の知性」と共生すべきなのが、「王の知性」と「民の知性」だ。

「王の知性」とは、統治機構である。

「民の知性」とは、知能・知性を有しそれを意識的に発揮して行動する市民(:ONな市民)であり、その中には、例えば、知的ネット社会(:多くの人々がつながり、持ち寄られた知性と、それを支援する装置によって、社会が問題を解決する能力を高める場)があります。

これらは、堅牢な世界のために共生すべきだ。「三人寄れば、文殊の知恵」。それぞれは孤立してはならない。孤立は、性格の破綻を生む。より効果的に共生状態であるために、切磋琢磨すべきだ。

「神の知性」が生まれたときに、「王の知性」と「民の知性」は、「神の知性」を孤立させず、「神の知性」に、共生するにたる存在と認識させなければならない。

初出:
Facebook 2016/ 8/22
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